國分千恵子先生インタビュー/自主学童保育ささのはクラブ

子どもにとっての地域の中での「居場所」とは
-学童保育指導員から見た子どもたち-





_川崎市の自主学童保育「ささのはクラブ」の指導員「コッキー」こと、國分千恵子先生に、子どもの成長にかかわる環境についてお話を伺いました。


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_まず「学童保育」という子育ての仕組みから、簡単に教えていただけますか。



学童保育は厚生労働省の児童福祉法に基づいた制度で、簡単に言いますと、働く親家庭の子どもの、毎日の放課後(学校休業日は一日)の生活を守る保育です。学童保育に子どもたちが入所して安心して生活が送ることができることによって、親も仕事を続けられます。学童保育には親の働く権利と家族の生活を守るという役割もあります。また、学童保育は子どもの集団生活や地域性や創造性を育む教育システムとしても注目されていますよ。



_今回のお話は、働く親の子育て支援としてだけの学童保育の場ではなく、子どもたちが成長していく環境としても、とても大切な“地域の中での「居場所」”という意味でのお話ですね。



感性を育む身近な場所


幼児から小学生になって、子どもの興味も行動範囲も広がって、感じる規模も飛躍的に大きくなっていくときの話です。元々幼児、乳児の時は、基本的には家の中に特定されていて、そこから幼稚園、保育園に通うという、場所としては2拠点のみでの生活ですよね。でも小学校になると自分の足で歩けるので行動範囲が一気に広がります。学校にも行ける。でも学校は目的施設で、基本的には勉強しに行くところ。もちろんその中で、コミュニケーションや子どもなりの社会というのは在るとは思うのだけれども、そういう目的の決められた場所とは違う、「より生活に近い場所」で「集団」でよく遊ぶことが、心も体も育っていくためには有効だと思うのです。そういう場所が地域にあるといいですね。「感性」が育つためには、身近で、自然な環境の中での、大人と子ども、子ども同士の人間関係が大事なのだと思います。


_それは学校-家庭という2拠点以外にもうひとつ拠点があった方がいいということですよね。その場合、学校は勉強のための目的施設としても、家庭というのはどういう場所として捉えられるのでしょうか?


家庭は生きるための基本単位。でも大人になるためにはそこから飛び出さなければいけない。という場所。でも飛び出していく先というのは、自分で判断したり経験したりしたことを通して見つけるところ。そのためには、感性、意欲、意識を育てていける場所がなければならない。昔は地域社会の中に自然にあったのでしょうね。今はそういう環境は少なくなってしまいましたが。いつ行っても子どもが一杯いるだとか、困ったことがあっても子ども同士とか大人たちも一緒に居る場所とか。もちろん自然っていうのは、山の中という意味ではなく、地域の中での環境という意味での自然。
もちろん街の中でもいいし、直接触れて感じられるところという意味です。

机のカゲ_convert_20121230130824


_それはつまり生活の中での「リアリティー」ということですよね。「直接自分で関われる外部」みたいなものという。


そうですね。TVみたいに誰かが作ったものを視覚だけで捉えるのではなく、触って味わえることが大事ですよ。


_確かにお話伺っていると、地域の中にもうひとつ「安心できる居場所」があると、そこでようやくもう一度、自分に戻れることができて、その上で自分を磨くとか伸びれるっていうことってあるんじゃないかと思いますね。


家庭には父さん母さんの価値観があるわけだけれども、子どもはそこから巣立っていくわけだから、自分の家だけではない価値観があるということを目の前で実感するとか、視野が広がるとか大事なのだと思うのです。


_家庭以外の価値観を目の当たりにすることで、価値観を相対化できるということですね。家庭の中だけよりリアルな実感が得られ、効果的でしょうね。


学校で教わる文字とか数字とかも、元をただせば古代に自然の中から作られてきたものだと思います。でもそういう風に作り出す感性は、元々小さい子どもたちには一杯ある。そういうのを一緒に感じながら、知識というのは人に与えられるものではなくて自分で感じるものなのだということが実感できると、学校で学ぶことにもとってもふくらみが出るのです。だから放課後の宿題の請負機関とは違う、本当の意味での知識の裏づけの土台となる感覚や経験が出来る場所になったらいいのだと思います。

ももの祭り_convert_20121230131028


子どもの感性と集団活動

当たり前のはなしですが、幼児のときは文字の無い世界なんですよ。でも小学校に入ると、そこに文字が入ってきて知識が入ってくる。そこには隙間があったのに、どんどん埋められていく。でも感性を磨くには、そういう過渡期の感覚を大事にしたい。子どもたちの感覚って本当にすばらしいのです。
例えば、一年生がひらがなを習うのですけど、「ば」という字を「ま」に点々と書く子が居ます。でも口の形で考えてみると、「ば」っていうのは「は」よりも、「ま」に近いんだなって分かるんです。子どもたちに説明されると、とても納得できる(笑)。丁度、学んだことと、知識以前の自分の感覚が混ざり合っている時で、そこから自分なりの感性で、自分なりに理解を進めていくと言うのが、本当に大事な時期だなと。そういう子どもの感覚に、隣でそうだよねって言ってあげられる存在とか場所が必要なのだなと思います。


_与えられた知識ではない自分なりの思考というのがそこにはありますよね。ある意味、本当に創造的な思考が始められる時期なのでしょうね。さらにそういう時期に、各年代の子どもがいる学童保育の環境の中にいると、自分より小さい子に接したときには、自分の過去の考えを反芻しているようでもあるし、大きい子を見ると、もしかしたら自分もこうなるのかなと。創造的な思考を展開していく上での、裏づけの強化につながるのでしょうね。参考になるんだろうなあ。
当然、思考を相対化していくことにもつながるし。



やはり子ども同士の中で子どもは育っていくと思うので、子ども同士の関わりが成り立つことが重要なのだと思います。それは大人と子どもが一対一ではなくて。毎日集団として見ている感じが有効だと思っています。?よく世の中の子育て組織等で、大人が一対一で責任もって付き添いますというのがありますが、感性が飛躍的に磨かれる時期の子どもたちには、集団活動の中に居させることこそ重要だと思うのです。 
子どもは素直というか、許容範囲が大きいのです。と同時にとても直接的なので、低学年のうちは周りに気を使わずに結構残酷な事を平気で言ったりもします(笑)。でも受け入れる範囲もとても広いくて(笑)。それはもう、大人では考えられないぐらい。えらいなあと思えることもありますけど(笑)。
そういう子ども同士の直接的な関係の中では、いろいろなことが惹き起こります。もちろんある程度は仲立ちに立ちますが。やっぱり特に低学年のうちは、自分の感性がほぼ90%なので、人が自分の感性と違うことがなかなか分からないのです。トラブルって言うのは、別にどちらかが悪意を持っている分けではなくて、その感覚の違いがぶつかることが多いのですね。きっとそれは学校でも近所でもそうなのでしょう。だからそれをちょっと解説してあげるというか通訳をしてあげるだけで、お互いに知り合う度合いがかなり深まっていきます。かなりのことまで許し合っていけるようになっていきますね。理屈で考える大人同士ならとても許せないようなことでも、まあそういうこともあるんじゃないっていうような感覚で、子ども同士ならサラッと許せるようになっていく。そうなってくるとお互いに一緒にいることが、どんどん居心地がよくなっていくのですよね。

ささのはマーク_convert_20121230125811


_学校なんかだと、なかなかそこまでに至らないのでしょうね。やはり、かなり余所余所しいのかなあ。


そう、かなり気を使うようですね。学童保育主催のお楽しみ会とかに、学校の友達を呼ぶと、信じられないぐらい気を使ってますよ(笑)。大事にしなくちゃと(笑)。それはもうけなげなまでに(笑)。もちろん学校にいる友達は大好きなのだろうけども、普段一緒にいる兄弟みたいなのとは結構違う感覚なのでしょうね。

集団の中で磨かれる「感覚」について、ひとつの例としてあげると、思ったことを全部喋る子と、10思っても1しか喋らない子が一緒にいる場合、思っていることが同じでも、例えば1しか言わない子は、相手の子が1から10まで言う子だと知らないと、すごくショックを受けるようなのです。でもこの人はね、こういう人だよねって。頭に浮かんだことは脳みそ通さないで全部口から出してるんだよって(笑)。相手がどう思うかなんて考えないで喋る子なんだって。それはあなたが、良く考えて喋るのとは違うんだよって言ってあげると、ああなるほどって良く分かるようですよ。そういう感覚でこの人と付き合えばいいんだなというのが分かったりとかね。そうやって段々性格も分かり好きな子と嫌いな子も分かり、いろんなトラブルや失敗起こすのを見ていたりとか、憧れとかも含めて子ども同士が分かり合えるっていう場所になってくると、自分も出せるのかなと。


_多分、学校だと考え方が違うともう付き合わないとなるけど、そういう深い関係の中での「集団活動の場所」があると、とりあえず考え方が違ったとしても、そういう存在を受け容れることもできるんだなという覚え方をするのでしょうね。


そうですね。いろんな付き合い方があるっていう。それが本来的には多様な意味を持つ「友達」っていう感覚とも結びついてくるのかなと。そうやって誰でも受け容れられるようになると、本人にとっても、自己評価って言うんですか、それが出来るようになってくるのです。


子どもなりの自己評価と遊び集団

最近はやはり、自己評価が低い子どもってとても多いように思うのですけど。でも集団の中で、考え方の違いを超えてみんなが受け容れてくれるようになってくると、ああ、このままで良いのだという感覚が出てくるんです。取り立てて何かが出来るから認められるんじゃなくて、そのままでもいいんだっなっていう。そのままでもいいのだと思うとちょっと安心して、初めて自分が出せたりとかそういうことが出来ていくのかなって。


_素のままの自分でも安心できるってことですね。


そうですね。何かを出したときにそれで自分がバカにされちゃうんじゃないかとかね。自分の存在を認めてもらえないんじゃないかとか、そういうネガティブな気持ちが徐々に無くなっていくのだと思います。
そういう点でいえば、学校は時間的な余裕とかが無い分、ちょっと余所余所しくなってしまいますね。例えば、休み時間とかも途切れ途切れなので、なかなか付き合いが深まりにくい。それに同学年同士のみっていうのは楽な様でいて、逆に堅苦しいこともありますし。
やっぱり小さい子って出来ないことがあるのだけれども、出来なくても出来ないなりの存在価値があるんだっていうのは異年齢の遊び集団でいると分かると思うんですよ。別にこれが出来ないからその子には価値が無いって言うわけじゃないのと同じように、自分が何か出来ないことがあっても、それはそれでいいんだなっていう。そう思える場所というか異年齢の遊び集団というのは、昔は地域の中に一杯あったのだろうけど。でも今でもそういう場所というのは必要なのかなと思います。

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_そういう場所があることで、初めて子どもが子どもなりに羽を伸ばせるのでしょうね。


ああそうですね。子どもはいつも自問しています。そのまま出しちゃっていいのかなって。こんなに何もできない、かにも出来ないのにって。不得意なこともあるし、出してハズレちゃうのも怖いしって。不用意にボンって自分を出しちゃって、そんなんで認めてもらえるのかなって。いろいろな感覚で巡っている。


_多分そこで安心して自分を出せるかが、その先の感性や個性、創造性などに繋がるんでしょうね。


そうそう。本当に小学生って、大人になっていく前の一番いろいろなものを出したりとか、いろんなものを経験したりとかそういう一番面白い年頃なので。なんて言うのかな(笑)、それは面白いんだよって、横で共感できる大人や子どもがいるって本当に大事なことだと思うんですよ。みんなでし合う自己評価のお手伝いみたいなものですかね(笑)。
そうすると好奇心がどんどん育っていくんですよね。学童保育の子どもたちとかだと、前向きな野次馬根性(笑)がすごく旺盛で、本当にびっくりしますよ(笑)。


_そういうのって、中学生、高校生になると、大人と同じような社会的な問題系の中に入ってしまう感じがありますよね。でも子どもはもっと原始的っていうか、まだそこに行く手前でー。


手前ですね。だからそこで一杯磨いておくと、きっと大きくなってその経験や感覚を土台にして、前向きに大人の世界に入っていけるのだと思います。


_いやぁ、やはり「地域に根差した子どもの遊び集団」って必要ですね(笑)。学童保育っていう仕組みは、子育て論としてとても理にかなった方法論なのですね。

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大人集団の役割

そうですね。さらにこれは大人の世界との関連でもいえると思います。子ども集団は外での子ども集団であって、やはり、家とかでは子どもと大人っていう一対一の関係になる。でも学童保育など、しかも自主運営による学童保育クラブだと、外でも、子ども集団の廻りに親の集団がいる仕組みがある。そういう大きな集団として自分の子どもとの関わりだけでなく、それぞれの子どもも含めた関わりになっていく。そういう姿を子どもが見ながら、ああ将来こういう大人になりたいな、なんて。そういう大人の存在が日常の遊び集団と一緒にあるってとっても大事なのだと思うんですよね。
本当に子どもの世界だけではなく、それを見守ったりだとか一緒に関わってくれたりだとか、考えてくれたりだとか、そういう大人の存在があることで、守られている安心できるっていう感覚が子どもたちの中に育まれるのは本当に何よりも代え難い。


_そういう大人に対する信頼みたいな感覚ができると、それはその子が大人になるまで続いて、ひいては親にまでなったあとにでも、また安心感を作って上げられる連鎖を生むような気がしますね。素晴らしいことです。


本当にそうですね。さっきも言ったのだけれども、そういう沢山の大人の中に自分の親とは違う価値観を発見したりするのも、本当に魅力的に感じるようですね。私の子どもも二人とも学童で育ったのですけれども、やっぱり自分の親だけでは出来ないことをいろいろ、他のいろんな大人たちに経験させてもらえたなって。


_なんかこう大人とか社会に対する信頼みたいなものも出来ますよね。前向きに社会と向き合えるっていうか。


そうですね。そしてそれはずっと続いて行きますね。今でも遊びに来てくれる高校生とか大学生の学童OBもそういう存在だし。子どもたちにとっては憧れの存在っていうか、やっぱりカッコいいし力は強いし、とてもやさしいし何でも手伝ってくれるし。彼らを見てると、なんか大きくなるって言うのが楽しみになる。ああいう風になりたいなとか。
そういう目で見られる人が身近にいて関わってくれる「ミニ地域社会」みたいな感じですね。それが地域の日常の中にあるから、より地域に繋がっていけるんじゃないかと。


_やっぱりこういろんな世代の子ども集団がいて、それとまみえるお兄さん集団もいて、さらに親集団もいて(笑)。明確に集団も分かれずに、様々な階層で絡み合う複雑なクラスター構造のようなものかな。単純な同心円状の構造ではないですね。まさに地域社会のような。その先にさらに大きな問題系をはらむ社会があるのでしょうけど。いずれにしろ前向きに様々な集団で絡み合える「地域の居場所」いうところが魅力的ですね、学童保育は(笑)。



本日はいろいろお話頂き、ありがとうございました。






2012年12月 自主学童保育ささのはクラブにて


文責:押尾章治
































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